2013年6月4日火曜日

寛容さ

先日と言っても、もう大分前なのですがNHKのドキュメンタリーで瀬戸内寂聴さんが被災地の方々へ講演をされているのを観ました。

時がたってしまい私の記憶が正確でないかもれませんが、仰ってた事がとても心に残っていて、自分自身も救われる気持ちでした。

何で自分が被災にあったのか・・・?
何か悪い行いをしたからの結果なのか・・・?
そして、何故生き残ってしまったのか・・・?

寂聴さんは、津波で流された人の中にはもちろん良い人もたくさんいらっしゃり、悪い事をしたからとか流されたとかではないと仰ってました。津波避難を呼びかけ続けた女性職員の方が流されてしまった悲しい記憶がありますが、良い行い、自分よりも他人を思い遣った行いをした方でも流されてしまわれました。

では、良い行いに意味がないのかと言うとそうではなく、良い人でも良い行いをしても悲しい結末になってしまう「矛盾」がある。説明のつかない「矛盾」がおきるからこそ、世の中には数多の宗教が生まれ、哲学がうまれたのだとお話されてました。

私自身、どうしてこうなっちゃったんだろうとか、何かの悪い行いの結果が引き起こしたのかとかそう言う思いで自分を否定したり、悲しくなる事があります。
もちろんそう言う点がないかと言えばそうでなく、反省したり、自分を顧みる事も必要だと思うのですが、それとは次元越えた全く説明のできない、原因が分からない事があるんだなぁと言う事に気付かされました。

生きてるいると沢山の人に出会い、様々な考えや意見を持った人に出会います。時に影響を受けたり、感銘を受けたり、逆に残念な気持ちになったりと色んな事が起きます。前はよくどうしてそうなのかな?と考え込んでしまう事もありましたが、今はそれぞれが違う思い、考えを持っている、この今の時点でその考え、信念を持っていると言う事に「うんうん、そうなんだなぁ」と善し悪し関係なく納得しています。寛容になっていくとはそう言う事なのかなと最近思っています。